コラム「日本一長い商店街の日本一熱い地元愛」

大阪には全国に誇れるところがたくさんあります。なかでも私が大好きな場所は、日本一長い商店街「天神橋筋商店街」です。社会学の研究に勤しむ私が、天神橋筋一・二・三丁目商店街連合会の会長をされていた、土居年樹さんと出会ったのは、平成18年のこと。きっかけは、街おこしをテーマとしたパネルディスカッションでの共演でした。
「せんせい、一回会うだけだったらあかんで。ずっとつきあっていこうや。ず〜っと」。これが最初の言葉でした。私は「そうですね」と返事をした記憶があります。イベント終了後、土居さんはあらためてこう聞かれました。「ほんまに腰を据えて取り組んでくれはる?」。
当時の私は講演会や研究活動で多忙を極めていました。しかも、あちこちで出会う人々の「また会いましょう」は、ほとんどが社交辞令でした。土居さんの言葉には戸惑いを感じたのですが、彼は「そうですねと言うたやんか」と言わんばかりに、いろんな話を持ちかけてこられました。
「正月用に絵馬をつくりたいんや。アーケードに飾る、そらもう大きなやつを。すまんけど手伝ってもらえんやろか」、「この商店街に来た人にはガイドがいるやろ。ゼミ生を観光客の案内役に」、「天神まつりには、やっぱり華がいるわな。華むすめに、ぜひゼミ生を・・・」などなど。
まさに立て板に水。土居さんの口からは、ユニークなアイデアが次から次へとあふれ、私とゼミ生に出番が回ってきました。面白いことに、ゼミ生はそれらを社会研究に活かし、人間的にも成長していきました。私自身も、ものづくり・街づくり・人づくりが三位一体であることを教わりました。次第に私たちは、次にどんな依頼があるのか、ワクワクして待つようになりました。土居さんも、自分のアイデアがカタチになり、喜ばれるのが嬉しいようでした。
「大川(旧淀川)に発光体を並べて、天の川にしたいねん」。そう話す土居さんの瞳は、夜空の星よりキラキラと輝いていました。また、こんな話もされていました。「街おこしというのはな、馬鹿者、よそ者、若者が必要なんや。わしは大馬鹿者や。この街が好きで好きでしゃあない」。
そんな土居さんとタッグを組むうちに、私もよそ者で馬鹿者になっていきました。それと同時に「商店街の再生」という難題に挑む土居さんの心意気が伝わってきました。お人柄についても同様です。最初はつきあいにくいお方と感じましたが、性根の部分で惚れていったのです。
あれからずいぶん経ちました。ゼミ生との同窓会で盛りあがる話題といえば、天神橋筋商店街の話ばかりです。味わい深い思い出を与えてくださった土居さんには、頭が下がります。
土居さんは商店街運営に向けて、前例のないアイデアを出しながら、自らも率先して、動き、周囲には「本気でやる気があるのか」と常に尋ねておられました。いずれも土居さんの情熱的な地元愛から成せる業だったのでしょう。
土居さんが床に伏せた時、何度かお見舞いに行きました。「やっと土居さんの爪の垢を煎じて飲めるようになりました」と話すと、彼はニヤリと笑って「へえ」の一言、それだけですが心は通じあえました。
私が秋田県大館市をはじめ、各地の地域再生に取り組む覚悟を持てたのは、土居さんのおかげです。東大阪を中心とする中小企業を四十年歩き、経営者と胸襟を開いて話せるようになったのも然りです。私の人生にとって、土居さんは忘れ難き偉大な人物です。
最後に、土居さんお得意の大阪締めで締めくくりたいと思います。「打ーちまひょ パンパン もひとつせ パンパン 祝うて三度 パパン パンおおきに!」。土居さん、天国でも景気よう大声張り上げてやあ!

大阪シテイ信用金庫「調査季報」2019.4